『聖書信仰に立ちながらも、なお時代に即した歩みを続けていくという、研究会の先達の築かれた土台を大切に守っていきたいと願っています』本文へスキップ

「シンポジウム」「総会」のご案内Symposium & Meeting

研究会 報告ブログ 開設

https://seishotoseishin.blogspot.com/
新たに研究会の報告用ブログを開設しました。
2018年度以降の研究会報告は上記URLのブログでご確認ください。

シンポジウムの報告 2018年6月7日

2018年6月7日 久遠キリスト教会にて

2018年6月7日 久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて

2018年6月7日(木)久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて2018年度の総会とシンポジウムが開催されました。
総会では2017年度事業報告・決算報告がなされ、2018年度事業計画・予算案が発表されました。
また、上山要代表理事より『幼子の信仰』というテーマでマルコの福音書10:13-16から説教が語られました。

中高生の心に向き合う ~ 自己肯定感を育てるために ~

総会に引き続き、玉川聖学院理事の水口洋先生を講師としてお迎えして「 中高生の心に向き合う ~ 自己肯定感を育てるために ~ 」というテーマでシンポジウムが開催されました。
以下にレジメの内容を掲載します。

1 はじめに
  自尊感情の低い日本の子供 ~ 国際比較から ~

2 何故、子供の自尊感情が低いのか
① 競争社会に生き残るという価値観に覆われて
② 人との比較で自分の立ち位置を測る
③ 大人や社会の価値観(モノサシ)の一元化

3 子供たちの置かれている状況
① 豊かな社会に生まれて
② 同調圧力とひ弱な自我
③ 早くから大人社会を知る悲しさ

4 発達の視点から考察すると
① 通るべき体験の不足
② 一人になることの大切さ
③ 思春期を枠づけられない複雑さ
④ 言葉とコミュニケーションの変質

5 自己肯定感を育てるために
① 発達の螺旋階段を昇る
② 承認欲求が満たされる
③ 体験を経験化していく
④ コミュニケーションと対話力
⑤ 私たちにできること















         司会の笹岡理事                説教を語る上山代表理事















        会計報告をする河村理事                 講師の水口洋先生














































          今回のセミナーの内容は今秋発行のジャーナルに掲載予定です。

研究会の報告 2018年2月9日

2018年2月9日 中野教会にて

2018年2月9日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では理事の河村冴先生によって「 人生の土台作り ~ 非認知能力を育む ~ 」というテーマで発表がなされました。

人生の土台造り ~ 非認知能力を育む ~

牧師であり幼稚園の園長でもある河村先生は、キリスト教保育の理念を紹介しながら、IQ神話への疑念が浮き彫りになりつつある現代にあって注目されるようになってきた「非認知能力」を育むことの大切さを解説されました。

幼児の早期教育が脚光を浴びてきた時代もありましたが、現在ではIQでは図ることのできない「非認知能力:意欲、忍耐力、協調性等」が幼児期に育まれていくことの大切さが注目されています。「非認知能力」を育むことの大切さは、ノーベル経済学賞の受賞者であるジェームズ・ヘックマン博士によって、「ペリー就学前プロジェクト」という研究の結果に基づいて提唱されました。幼児期に「非認知能力」を育むことの有効性はロバート・フルガムによる『人生で必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』の中でも紹介されています。

河村氏は幼児が幼稚園で経験する「砂場」での経験を、最初の人間であるアダムの「エデンの園」における豊かな経験と結び合わせて、解き明かされました。
●子どもがただの砂場に宇宙大の広がりを見出すことができるのは「神のかたち」を持つ存在ならではの思考力・創造力を持っているからです。その部分を引き出してあげることが幼稚園の本筋です。●神はエデンの園で人にルールをお与えになりました。子どもたちにも規範をもって生きることを教えていく必要があります。●神はエデンの園で、人に耕すつとめをお与えになりました。人は自分の生活を切り開いていくことのできる自律的な存在へと成長していく必要があります。●神は人に、あらゆる家畜・鳥・獣に名前を付けるつとめもお与えになり、大自然を調べるという知的好奇心を呼び起こされ、深く考えるようにされました。子どもも遊びを通して生物学者のまなざしを育んでいきます。

目には見えないけど確かに神様がおられるということ、いつもともにいてくださるということ、いつも味方でいてくださるということ。「神様の存在・神様の愛」を知ることはIQでは図ることのできない非認知の領域のことです。しかし、神様の存在とその愛を知ることこそ「人生の土台造り」に欠かせない要素です。

発表内容はこの秋発行のジャーナルに掲載予定です。(予定が変更になる場合もございます)


研究会の報告 2017年12月1日

2017年12月1日 中野教会にて

2017年12月1日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では先日発行されたジャーナル36号の記事をもとに課題提起がなされました。

担当 上山要 代表理事 子どもの心にかかわる ~ 健全な成長のために ~

1サムエル記に記されている「ハンナとサムエルの関係」から、幼少期における親と子の関わりの大切さが確認され、子育ての課題、教会に委ねられた課題が提起されました。

担当 浜田献 ホームページ担当 ネット・ゲーム依存 ~ 課題の整理・具体案の検討 ~

ジャーナル36号に掲載した原稿で取り上げることができなかった課題を確認し、検討する時間を持ちました。
① ネット・ゲーム依存の予防と回復のために家庭・教会でできること
②「依存症」と「原罪」との関係に関する神学的考察











詳細はジャーナル36号に掲載されています。

研究会の報告 2017年7月7日

2017年7月17日 中野教会にて

2017年7月7日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。


2017年 シンポジウムのご報告 2017年5月11日


2017年5月11日 久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて

2017年5月11日(木)久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて2017年度の総会とシンポジウムが開催されました。
総会では2016年度事業報告・決算報告がなされ、2017年度事業計画・予算案が発表されました。
また、上山要代表理事より『継承とこれから』というテーマで第一サムエル記1:9-20から説教が語られました。

子どもの現状から見た教会と牧師の課題

総会に引き続き、上馬キリスト教会牧師・東京育成園園長の渡辺俊彦先生を講師としてお迎えして「子どもの現状から見た教会と牧師課題」というテーマでシンポジウムが開催されました。

教会が子どもたちの居場所になるだけの力を持っているか?
近年教会では高齢者の問題がとりあげられることが多くありますが、子どもたちの現状に関心が向けられることは多くありません。牧師も専門性を持っていないために適切な対応ができずにいます。そのような現状にあって、牧師、教会が専門性を身に着けていく必要性を確認するとともに、地域のコミュニティにどのような社会資源があるのかを認識し、協力関係の中で子どもたちを健全にケアしていく必要性、さらに教会も地域のコミュニティの中で社会資源となる力を持っていく必要性を確認しました。

必要とされているケア
人間は、動物と比べ、生まれてからすぐに立ち上がることはできません。未完成の状態で生まれてきます。養育者の腕の中で100%依存して生きる中で、愛され、信頼することを学び、自律的になっていきます。人は愛されたようにしか、愛することができません。また愛されたことがなければ、愛は伝わりません。このような事情をふまえつつ、福音を届けるために、ケアを必要としている子どもの育ちなおしを専門的にアシスメントしていく必要性を教えられました。またそのことと関連して、信仰の課題とパーソナリティの課題を分けるのではなく、その両面からアプローチしていく必要性を確認しました。
その他、現代における子どもたちの様々な課題(それらの課題はさかのぼれば、家族、夫婦、個人のパーソナリティの課題に至ります)を確認し、そこに必要なサポート、関わり方を学びました。

上記の内容はシンポジウムの一部です。詳細はこの秋発行のジャーナルに掲載予定です。















     総会で説教を語る上山要代表理事            司会進行をする笹岡靖理事














        会計報告をする河村冴理事               講師の渡辺俊彦先生

研究会の報告 2017年2月17日

2017年2月17日 中野教会にて

2017年2月17日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では理事の河村冴先生によって「社会不安障害(社交不安障害)と教会」というテーマでの発表がなされました。以下にアウトラインと結びの言葉を記載します。

社会不安障害(社交不安障害)と 教会

1 社会不安障害とは

極度の「あがり症」
遺伝的体質か環境か
うつ病を含む気分障害を併発する人が7割

2 「コミュ障」が行き難い社会

学校生活
就職活動の困難 → ニート
婚活、無縁社会、孤独死

3 教会の関わり

社会不安障害への理解
特性を生かした奉仕
人間が生まれ持つ不安 → 創世記3:10
 









創世記 3:9-10
神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」
彼は答えた。「私は園で、あなたの声を聞きました。それで私は裸なので、恐れて、隠れました。」

人間は誰しも他者に対して不安を抱く存在です。特に「神」という絶対他者を前にするとき、誰もが恐れを抱き、隠れたくなります。なぜなら人はみな裸であるからです。それは罪を持った人間の本質的な問題です。そういった状態から逃れようとして、人はイチジクの葉を綴り合せて見てくれを整えようとするわけです。そうすることによって罪びと同士であるならば、何とかやりすごすことができるようになります。そのように生きるのが一般の人です。しかし、中にはイチジクの葉を綴り合せることができないで、人間同士でもやり過ごす術を持っていない人がいます。それが社会不安障害といえるのではないでしょうか。イチジクの葉を綴り合せるテクニック、それは生活の中で自然と身に着けていくものです。しかし、その術を持てない人がいます。
神はアダムとエバに皮の衣を着せてくださいました。それは動物の血を流すことによって罪びとの恥を覆い隠そうとする神の恵みであり、小羊キリストをはるかに指し示すものでした。イチジクの葉を綴り合せることができる人にもできない人にも「まことの皮衣なるキリストを着せて頂くこと」を指し示していくこと、それが教会の使命ではないでしょうか。

今回の発表内容はこの秋発行のジャーナルに掲載予定です。(予定が変更になる場合もございます)

研究会の報告 2016年12月2日

2016年12月2日 中野教会にて

2016年12月2日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会ではHP担当の浜田が「ネット・ゲーム依存症の人たちに教会ができること」というテーマで、発表をしました。

ネット・ゲーム依存症の人たちに教会ができること

今回の発表では、まず、岡田尊司氏の『 インターネット・ゲーム依存症 ~ ネトゲからスマホまで ~ 』(文春新書)を参考に、インターネット・ゲーム依存症の危険性と、依存症の原因(依存症の背後にある根本的な課題の存在)を確認しました。

岡田氏はその著書で、まず、中国科学院大学武漢物理・数学研究所のレイ・ハオ教授による研究発表(2012年)を紹介しています。レイ・ハオ教授は、DTIによる脳の画像分析によって、インターネット・ゲーム依存の被験者が、健常者に比べて、眼窩前葉、前帯状回、外包などの大脳白質で、神経ネットワークの統合性の低下が見られると発表しました。同じような状態が、コカイン・大麻・覚醒剤・ヘロインなどの麻薬中毒の患者で認められることが報告されていますので、インターネット依存者の脳では、麻薬中毒者の脳に起きていることと同様のことが起きているということになります。
しかし、このような危険な状態にもかかわらず、インターネット・ゲームに依存する若者たちは世界中に(そして特に日本に)多くおり、その一人一人が、容易には依存症から脱却できない状態にあります。岡田氏は、インターネット・ゲームそのものに内在する、依存症を引き起こす様々な要素を分析し紹介しながらも、その背景に、現実社会(特に家庭)での課題が存在しており、まずそこに目を向けていく必要性を指摘しています。聖書と精神医療研究会では、ここ数年「 家族 ~ その病理と希望 」また「 関係性の喪失 」というテーマで研究を重ねてきましたが、まさに「 絆を取り戻すこと 」が依存症からの脱却の第一歩であるというのです。

『優等生が優等生であることを絶対条件のように期待され、そこからドロップアウトしてしまってゲーム依存になるという場合は、その典型的なケースだと言える。ただ、依存症になっているからやめろでは、ますます自分の存在を否定されたとしか受け取れない。むしろ必要なのは、オンラインゲーム依存になって、もう優等生でも良い子でもなくなってしまった自分という存在を、それでも大切に思ってくれる人がいる、と感じることなのだ。本人の挫折感や傷ついた思いも理解しながら、その悔しさや悲しさを受け止め、それでもまだ、その子には一杯いいところがある、愛すべきわが子なのだということを、さまざまな形で伝えることなのである』(岡田、p226)

私は上記の文章を読みながら、ルカ19:1~9の取税人ザアカイの救いに関する記事とルカ15:11~24の放蕩息子のたとえを思い出しました。金銭に依存していたザアカイの前に新しい人生が開かれたのは、イエス様がザアカイを無条件で受け入れて、彼の家に来てくださった時でした。放蕩息子も、ザアカイのように、優等生・良い子ではなくなってしまっていましたが、それでも彼の父親は、ボロボロになって帰ってきた息子を「愛するわが子」として両手を広げて迎え入れてくれました。聖書ではありませんが、ヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」に登場するジャン・バルジャンが新しい人に変えられた時のプロセスも思い出します。司祭の無条件の愛と赦しがジャン・バルジャンを全く新しい人に変えました。「恵みによる癒しと新しいスタート」は聖書の主要なメッセージでもあります。インターネット・ゲーム依存症の予防と回復を考える際にも、聖書には大切なヒントが記されていると考えることができるのではないでしょうか。

また、回復のために必要なサポートの内容を考える際には「教会」や、教会を構成する「クリスチャン一人一人」に求められる特別な役割も見えてきます。岡田氏は、依存症からの回復のために、これまでネット・ゲームの世界で満たそうとしてきた欲求が健全に満たされるために「安全な居場所を提供すること」や「所属や承認の欲求を満たすこと」の大切さを説いています。こういった課題に取り組んでいくうえで、教会には豊かな可能性が秘められているようにも思います。そのあたりのことも含めて、今回の研究会での学びを足掛かりに、学びを続け、次号のジャーナルで原稿としてまとめることができればと思っています。

2016年度 総会・シンポジウムの報告 2016年5月10日(火)

2016年5月10日 久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて

2016年5月10日(火)久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて2016年度の総会とシンポジウムが開催されました。
総会では2015年度事業報告・決算報告がなされ、2016年度事業計画・予算案が発表されました。
また、上山要代表理事より『聖書と精神医療』というテーマでヨハネの福音書5:1~15から説教が語られました。

心病む人々に教会ができること ~ 聖書と精神医療の20年の歩みとこれから ~

総会後、創立時より研究会を支えてこられた佐竹十喜雄理事(国分寺バプテスト教会 協力牧師)を講師として迎えて『心病む人々に教会ができること ~ 聖書と精神医療研究会の20年の歩みとこれから ~ 』というテーマでシンポジウムが開催されました。以下にレジメの内容を掲載します。

聖書のことば

イスラエルの神、救い主よ。まことに、あなたはご自身を隠す神。イザヤ 45:15
私は主を待つ。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に、望みをかける。イザヤ 8:17
< その他の参照聖句 >
出エジプト記 33:18-23、ヨハネ 1:18、ローマ 11:33、第1テモテ 6:16
参照:平山著「死と向き合って生きる」p.169-176

序言

2013年12月18日に主のもとへ召された精神科医平山正實先生の情熱におぼだされて、今、ここに立っています。(参照:vol.24「響きあういのちつないで」)

Ⅰ 本研究会の発足理由と使命

1986年に発足した共立基督教研究所所属の「聖書と精神医学研究会」から独立し、「聖書と精神医療研究会」と改名して1996年に発足。
(参照)「聖書と精神医学 - 全人的いやしへのステップ」1993年 いのちのことば社
1996年の創立趣意書(巻末に掲載)

20年間の活動内容と評価

1. ジャーナルの発行
巻末のバックナンバー参照
1~31号(年2回発行)、32号以降(年1回発行)
※ いのちのことば社の21世紀ブックレット29号と32号(発売中)
2. シンポジウム
(1) 年次総会時のシンポジウム
(2) 地方でのシンポジウム
   金沢(2002年)岡山(2003年)名古屋(2006年)札幌(2007年)新潟(2008年)
3. 第五回日本伝道会議分科会担当(2009年)
4. ベテスダ聖書の集い
 1999年 6月 ~ 2011年 12月
 毎月、第2と第4日曜日、午後2時~5時
 会場:カルム第2赤坂(103号室)
 集会回数:264回
 集会人数(平均)2,025人(7.7人)
 初来会者数(名前を書いた):295人
(参照:ジャーナル22号)
5. 大黒柱的存在の斎藤篤美師、平山正實師の召天

Ⅲ 考慮すべき今後の課題

1. 心病む人の増加傾向(参照:「東京都の社会保険」のデータ)
2. 3・11や熊本地震による大量被災者の心のケアの必要と対応の遅れ
3. ネット社会の増大による人間関係の変化への対応の遅れ。
4. その他

結び

私は主を待つ。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に、望みをかける。イザヤ 8:11















      総会で説教を語る上山要代表理事             司会進行をする笹岡靖理事














      研究会の軌跡を語る佐竹十喜雄理事              質疑応答の時間













iiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii講義を受けての意見交換          昨年度講師の斎藤一男氏(ロゴスフィルム)

シンポジウムの最後に「考慮するべき今後の課題」が確認されました。精神的な病の故に病院を訪れる人は増加の一途を辿っています。しかし人々の必要は満たされてはいません。問題も多様化・複雑化しています。ネット社会が広がり、私たちを動かしています。その中で人間関係が築かれていきます。しかしそこで出来上がっていく人間関係は、まさしく「病む関係」です。そこにどう手を差し伸べることができるのでしょうか?発達障害者の増加、性同一性の問題等、私たちには向き合うべき課題、やるべきことが多くあるのです。

『平山先生が召されて。「聞きたい」と思っても答えてくださる先生がいらっしゃらなくなりました。しかし、振り返れば平山先生も、いつも答えをくださったわけではありませんでした。先生も「ご自身を隠す神」を探し続けておられました。神は「ご自身を隠す神」です。しかし、望みはいつもそのお方にあるのです。……
神は隠れておられます。しかし隠れたところで耳を傾けてくださっています。私たちに信仰と忍耐を求めながら』

研究会の報告 2016年2月5日

2016年2月5日 中野教会にて

2016年2月5日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では代表理事の上山要先生が「不寛容な(?)時代とストレスマネジメント」という年間テーマをふまえて「ストレスからの解放」というテーマで発表をされました。今回の発表内容はジャーナル34号(2015年発行)に掲載されています。以下に、アウトラインと一部を掲載します(直接引用を含む)。(記録・浜田献)

1 はじめに

2テモテ 3:14-17
設立「20周年」に向けて
『聖書信仰に立ちながらも、なお時代に即した歩みを続けていくという、研究会の先達の築かれた土台を大切  に守っていきたいと願っています』

2『関係性の喪失』から『ストレスマネジメント』へ
2015年度の研究テーマは『不寛容な時代のストレスマネジメント』
今日、現代人の精神疾患の要因とも言われる心理的ストレスの問題は家庭や教会でも生じるようになった。
ストレスを感じる年齢層も低年齢化が見られる。

3 不寛容な時代とは
現代社会を敢えて「不寛容」と形容する背景
特定の宗教・信仰が持つ狭い枠組みや価値観の問題の存在。また……
『一見自由で寛容に思える現代社会の中で、実際に人々がなお心のストレス(ひずみ)を感じているとしたら、そこには自分の思いとは相容れない絶対的な存在が「不寛容さ」となって人々の心に真理を問いかけているようにも見えます。人間の罪の自覚はこうしたストレスから生まれて来るのではないでしょうか。それゆえにこのストレスの理由を知り、またそれを正しく管理することが、人が真理(神)に導かれる第一歩であると確信しています』
ヨハネ8:31-34

4 ストレスとは何なのか?
① 脳科学による理解
現代の脳科学の進歩は今まで心の問題としてきたストレスを、脳の問題として捉えることへと変容させた。
人は脳で悩みやストレスを感じ、また脳で安心や平安を感じるという認識。

② 聖書による理解
詩篇をはじめ、聖書には人間の苦しみに対する様々な記述がある。
『心が絶え入る』詩篇119:81
『心が砕かれる』詩篇51:17
『心が思い煩う』詩篇139:23
『心がひしがれる』箴言18:14
『ある意味、そのすべてをストレスと言っても良いと思いますが、見ることができない心の苦しみの様相を、聖書は人間と神との関係において実にさまざまな言葉で表現しています。神によって造られた私たちが、神との関係において苦しみを覚えるのですから、当然その癒しと解決も神によって与えられます。心理的側面から見ても、人は2つの局面である「自分の思いや願い」と「自分の置かれている現実や状況」が食い違う時、その度合いが大きいほど苦しみも大きくなります。現実や状況に押さえ込まれればストレス(抑圧)を感じるし、自分の思いや願いを通そうとすれば人間関係を壊します。またこの2つの局面を切り離しては健全に生きていくことはできません』
「心配する・思い煩う。マタイ6:25」という言葉も「分割する・対立する。マタイ12:26」という言葉の派生語
ストレスを感じている心や脳は……
2つの思いや考え(「自分の思いや願い」と「現実や理想、建前」)に分離している状態
あるいは衝突して歪んでいる状態(脳の部位であるDLPFCと扇桃体の不調和)
 
5 ストレスからの解放
①福音による解決(エペソ2:14-16)
『人間であるゆえに、確かに心を2つに分ける絶対的な基準があります。それが生きることと死ぬことです。この2つの局面が人間に、「若さと老い」「健康と病」「強さと弱さ」「成功と失敗」など、前者は良いことで後者は悪いことと言った二元化した価値基準を与えます。そして実際に人間は、その生涯の歩みの中で常にこの2つの状態の「はざま」で悩み、ストレスを感じているのです。しかし神さまはこの2つの局面を1つに結び付けてくださいました。それがキリストの十字架の死と復活です。神さまの前ではこの2つの局面は切り離すことができません。それゆえに福音が人間の根本的なストレスに解決を与えることができるのです』

②意味論による解決(伝道者の書3:11)
『また人はこの悩み、苦しみの中に「何らかの意味」を見いだすことによってストレスから解放されることがあります。「この苦しみは自分がもっと良い人間になるための機会なのだ」と前向きに受け止める人もいるでしょう。また状況や現実、時に相手の存在を否定することによって心の安定を守ろうとする人もいます。しかし信仰者の健全な「心の防衛機制」とは、神にゆだね、神の最善のお取り扱いに期待することです』

6 終わりに:ストレスからの解放のための重要なポイント
①すべてを御存知の神さまがこの苦しみに意味を与えておられる。そしてその意味は必ず後に明らかになる。
 (ローマ5:3-5」
②神さまは必ず私をこの苦しみから救ってくださるお方である。(1コリント10:13)
③この苦しみの時にこそ、私たちは神さまの臨在とその御力を実感することができる。(2コリント12:10)
・これらのことを確信し、実感することが私たちをストレスから解放し、真実の平安を私たちの心にもたらす。

 今回の発表内容の全文はジャーナル34号で読むことができます。

研究会の報告 2015年12月4日

2015年12月4日 中野教会にて

2015年12月4日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では理事の笹岡靖先生が「不寛容な(?)時代とストレスマネジメント」という年間テーマをふまえて「セロトニンと泪でストレスに勝つ」というテーマで発表をされました。笹岡先生はまず「現代人のストレス」について医学的な説明をされ、三大神経伝達物質のセロトニンの分泌と信仰生活の関係性を解説されました。次に「涙を流す」という行為がストレスマネジメントを考える上で良い効果を発揮するということを、様々な面から論じ、最後に「涙を流されたイエス様の姿」から教えられたことを発表してくださいました。
以下に、講義の内容を一部を記載します。(記録・浜田献)

セロトニンと泪でストレスに勝つ

信仰生活の動作とセロトニン分泌の関係性
セロトニンという神経伝達物質に注目をするにあたり、まず三大神経伝達物質(ドーパミン、ノルアドレナリン、セロトニン)のそれぞれの働きと特徴が説明されました。三大神経伝達物質の基本的な説明は、以下のサイトの情報が参考資料として提示されました。
http://www.human-sb.com/serotonin_dopamin_noradrenalin.html


精神を安定させる役割を担うセロトニンはどういったときに分泌されるのでしょうか?セロトニン分泌は、リズム運動で活性化すると言われています。呼吸法、歌う、咀嚼等の活動はセロトニン神経を活性化させる要素があると言われています。興味深いことに、祈り(呼吸)賛美(歌う)愛餐(咀嚼)等の信仰生活の動作には、セロトニンを活性化させて、副交感神経を強め、リラックスした状態にする効果があることがわかります。

泣くこととストレスマネジメント
泣くこと(涙を流すこと)が心の安定(ストレスマネジメント)に良い影響をもたらすということは医学的にも立証されています。涙を流すことによってもたらされる、生理的・認知的、行動面の変化が心の安定に繋がっていくと言われています(以下に概要を記載します)

生理的な順序
・副交感神経の興奮
・ストレスホルモン(コルチゾールなど)を排出する
・内因性オピオイド(オキシトシン)の放出
・神経成長因子(NGF)の放出
・顔の筋肉活性により否定的な感情により低下した脳内血流が改善する
認知的順序
・自分の涙を顔の一部で認識すると悲しくなる
・自己認識の向上
・悲しい出来事に対する新たな視点や解決に伴って涙は流れる
行動面の順序
・リズミカルな繰り返し(すすり泣く)、泣く子をなだめる時の子守歌

涙を流されたイエス様の姿から
次に、聖書を開いて、イエス様の姿に目を向けていきたいと思います。聖書では、イエス様が涙を流されたという記述を2箇所見つけることができます。ヨハネの福音書11:35とルカの福音書19:41です。今回は特にルカの福音書19章のイエス様の姿に着目します。
『エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、言われた』ルカの福音書19:41-42
イエス様はこのとき、エルサレムの頑なな心に対して嘆いておられます。「さんざん忠告をして来たのにあなたがたは聞かなかった」という嘆きの中にありました。このような思いの中で生じて来るレスポンスは通常であれば「怒り」ではないでしょうか。そして怒りは敵意に繋がっていきます。しかしイエス様はこのとき怒るのではなく、涙を流されました。怒りは敵意に繋がりますが、涙は敵意には繋がりません。怒りを目の当たりにした人の反応と涙を目の当たりにした人の反応は異なることでしょう。時として涙には人を引き付ける力があるようにも思えます。
「怒るのをやめて泣こう」という姿勢は、イエス様の霊性に繋がっていくように思えるのです。
イグナチオ・デ・ロヨラはイエズス会の訓練の一環として霊性を図るために「今日はどれくらい泣いたか」という問いを用いたようです。ロヨラ自身も自らの記した日記の中で「今日はどれくらい泣いたか」「今日は泣かなかったか」等の言葉を記すことが多くありました。ロヨラが「涙を流す」ということを霊性のバロメーターとして捉えていたことがわかります。
「泣く」ということによって色々な面で整えられていくという可能性が指し示されているように思います。

今回の発表内容は来年発行のジャーナル35号に掲載予定です。(予定が変更になる場合もございます)

研究会の報告 2015年7月10日

2015年7月10日 中野教会にて

2015年7月10日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では理事の河村冴先生が「格差社会における孤立という問題」を教会としてどのように考え、取り組みを模索しいくことができるのかを発表されました。以下に、講義の内容を一部を記載します。(記録・浜田献)

格差社会における諸問題

グローバリズムの時代になり・・・:3人に1人は非正規の労働者
現在日本には雇用が安定していない方が3人に1人おられる。

若者の失業率の推移を確認すると・・・
ここ最近は回復の兆しがあるが、若年層に関しては相対的に高くなっていく傾向がある。「ニート」の増加も大きな社会問題となっている。

このような時代にあって、心身ともに疲れきっている方が少なからずいる。

孤立感からの脱却のため「居場所づくりの必要性」

居場所づくりの鍵:居場所とは・・・
「ありのままでいることができ」なおかつ
「誰もが誰かの役にたっている」そして
「自分の存在を周囲から承認されている」と実感できるところである必要がある。

そのような居場所の中で、共感や連帯意識等を得て、孤立から解放されていくことが期待される。
そのような居場所を提供できるのは「階層を越えて、交流を得ようとする思いを持つ団体」でなければ難しい。
この点、行政は不得手な部分でもある。当然、この点で教会に期待されるところが大きいと言えよう。

ではこの格差社会にあって、教会は何をしていくことができるのか?

マリヤの賛歌 ルカの福音書 1章46~53節
わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。
主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。
ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。
力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。
その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。
主は、御腕をもって力強いわざをなし、心の思いの高ぶっている者を追い散らし、
権力ある者を王位から引き降ろされます。
低い者を高く引き上げ、飢えた者を良いもので満ちたらせ、富む者を何も持たせないで追い返されました。


主イエス・キリストの来臨が貧しき貧しきマリヤの胎によってもたらされたということを思う。
主は、この世の権力・富に満足する者を低くし、低き者・植えた者を高くし、平和で平等な社会を形成することを求めておられる。教会も「主の心」を「我が心」として、格差社会における断絶の解消に誠実に向き合っていく必要があるのではないだろうか。

しかし・・・平均年齢が高くなっている現代の教会には余力がない。

日本人の平均年齢は45歳7か月と言われているが、教会の平均年齢は?
居場所を提供していくことは容易ではない。
志はあるが力がないという実情。

とたえ単独で実行する力はなくても・・・
多くの教会には平日に使用できる広いスペース(会堂)があるので、
居場所を提供したり、行政から補助を受けながら、NPOと協働していくという発想もできるのではないか。

子どもたちのための取り組みに関しては「子ども子育て支援新制度」も利用して(行政の経済的な補助を受けながら)取り組んでいくことも考えられる。

格差社会に対する国の取り組みに教会を取り入れていくことによって、これからの教会の在り方を模索することもできるのではないだろうかと思う。

2015年度 総会・シンポジウムの報告 2015年5月19日(火)

2015年5月19日 久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて

2015年5月19日(火)久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて2015年度の総会とシンポジウムが開催されました。
総会では2014年度事業報告・決算報告がなされ、2015年度事業計画・予算案が発表されました。
また、上山要代表理事より『不寛容な時代のストレスマネジメント』という新年度の研究テーマに基づいて『ストレスからの解放』というテーマで説教が語られました。

自立と共生を考える ~ 映画「かがみ」を通して見えるもの ~

総会後、映画監督の斎藤一男氏を講師としてお迎えして『自立と共生を考える ~ 映画「かがみ」を通して見えるもの ~ 』というテーマでシンポジウムが開催されました。
斎藤氏は、ご自身が監督として制作された映画「かがみ」のダイジェスト映像を紹介しながら、各シーンに込められている思いやメッセージを解説してくださいました。特に、映画のラストシーンを、新年度の「不寛容な時代のストレスマネジメント」というテーマと結びつけて解説をしてくださいました。不寛容でストレスの多いこの時代において「弱さを自覚した者たちの集まりである教会こそが、心傷ついた人々を暖かく迎え入れる環境である」というメッセージがシンポジウムの結びの言葉となりました。
多くの方々の協力も頂き、素晴らしいシンポジムとなりましたことを感謝致します。
シンポジウムの講義内容は、2015年秋発行予定のジャーナルにも掲載されますので、期待してお待ちください。















       挨拶を行う上山要代表理事             会計報告をする河村冴理事













     穏やかな口調で解説をする斎藤一男氏       各シーンに込められた思いを紹介する斎藤一男氏

自立と共生を考える 映画「かがみ」を通して見えるもの
内容:「かがみ」の作品紹介動画上映、斎藤一男氏による発題、その後、パネルディスカッション


斎藤一男・プロフィール
映画監督。1974年千葉県生まれ。日本大学国際関係学部卒業。映像制作会社金後フリーに。2005年、受洗と共に、キリスト教的価値観に基づく映画作成団体「ロゴスフィルム」を創立。また映画制作と平行して働く知的障がいを抱えた方の集う作業所とグループホームの仕事で感じること、考えることをもとにこの「かがみ」を制作した。この映画を通して教会や信仰者に共生と自立の意味を提示できればと願っている。
ロゴスフィルム ホームページ


研究会の報告 2015年2月6日

2015年2月6日 中野教会にて

2015年2月6日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
今回の理事会・研究会では、19年目を迎えた研究会として、「これからの研究会の歩み」を考える機会を持ちました。

これから歩み
発足当時から中心となって研究会を牽引してきてくださった平山正実先生を天に送ったいま、研究会はこれからの歩みを考える必要の中に置かれています。

そのような中で開かれた今回の理事会・研究会は、クリスチャン精神科医として「医療」と「信仰」の狭間で格闘をされながら、研鑽を重ね、人々の心と向き合ってこられた平山先生の志しと問題意識を引き継いでいくことの大切さを確認する機会となりました(先生は本当に多くの種を蒔いてくださいました)。

これからも、精神医療の現場で心病む心病む人々と向き合いながら学びを重ねておられるクリスチャン精神科医の先生方との協力関係の中で、現代における様々な必要に応えていくことができるように、研究会の歩みを進めていきたいと思います。

新年度のテーマ
新年度のテーマとしては「不寛容な時代のストレスマネジメント」というテーマを掲げることになりました。この春のシンポジウムを皮切りとして、定期開催の研究会や秋のジャーナル発行を通して深めていきたいと思います。研究会の今後の歩みと、新年度のテーマの詳細に関しては、この春(5月か6月に)開催予定の総会・シンポジウムの席で、説明を致します。総会・シンポジウムの開催日程・会場等の情報は研究会員の皆さまには追って連絡を致します。

研究会の報告 2014年12月5日

2014年12月5日 中野教会にて

2014年12月5日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会ではHP担当の浜田が「現代日本における若者の関係性」というテーマで研究発表を致しました。

現代日本における若者の関係性 ~ 絶えず喪失の危機にある関係性 ~

研究発表 現代を生きる若者たちの関係性を概観
1)特徴:質より量 / 多様で流動的(代替可能な関係性) / 依存的でありながら表面的
2)媒体:リアル×スマホ(ネット):LINE、SNS(24時間常時接続 / 画像と最小限の言葉とスタンプ)
3)ネットを介したコミュニケーションの目的:コミュニケーションそれ自体 ➡ 関係性の維持
4)社会的背景:価値観の多様化によって生じた変化
  制度的枠組みが持つ拘束力の弱体化から来る自由化 ➡ 多様化・流動的 ➡ コミュ力至上主義
  基準・権威・伝統の喪失 ➡ 関係性のフラット化 ➡ 承認願望を質より量でカバー
5)心理:承認願望 ― 不安( 自分の価値・ポジションを守らなければいけない ~ 疎外・いじめの恐怖 ~ )
6)工夫:イツメンとキャラ化という予定調和の世界
7)結果:依存、疲労(ストレス)
  ※ 参考資料:土井隆義『つながりを煽られる子どもたち』/ 香山リカ『絆ストレス』

不安や承認願望に基づく「つながり依存」
多様でありながら流動的。依存的でありながら表面的。強い結びつきのようでありながらもろく、変わりやすい。
2014年度の研究テーマは「関係性の喪失」ですが、現代日本の若者の関係性はまさに「絶えず喪失の危機にある関係性」と表現することができます。既存の制度的枠組み(地縁・血縁・学校・会社等)の拘束力の弱体化や、スマホ(LINE・SNS)の普及に伴い、現代日本の若者たちは、枠組みや時間に縛られない自由で多様な関係性を構築できるようになりました。しかしその結果、若者たちが豊かな関係性を得ることができたかというと、そうではないようです。自由で多様な関係性は流動的でもあり、もろく、変わりやすいものでもあります。一度得た関係性と、その関係性における自らの居場所を維持するために、日夜スマホを駆使しなければなりません。現代日本において多くの若者たちがネット依存であると指摘されていますが、その実態は不安や承認願望に基づく「つながり依存」であると言えます。不安や承認願望に基づく依存的な繋がりは本当の意味で自由で豊かな繋がりではないため、より強い不安感や疲労感を蓄積させていくことになりかねません。

適切なサポートを提供するために
その関係性の在り方に様々な危うさが見出されるからといって、ただそれを断ち切るということでは非現実的な提案となってしまいます。
教会は、現代を生きる若者たちの心の叫びを聴きつつ、適切なサポートを提供していく必要があるのではないでしょうか。表面的な解決ではなく、根本的かつ具体的な助けが必要とされています。
今回若者たちの関係性を概観する中で確認をした一つ一つの課題や心の思いを聖書の言葉に照らしつつ考えて、答えを求めていく必要性を覚えました。
( 特に、発題後のディスカッションを通して、繋がり依存の根底にある「承認願望」を聖書の言葉と照らしつつ、正しく評価し、健全な充足が何であるのかを考察していく必要性を覚えました。具体的に次の課題としていきたいと思います。※次回ジャーナル34号に掲載予定 )

神との関係性を土台として
もろく、変わりやすく関係性の中で疲弊する若者たちに聖書は何を語りかけているのでしょうか?
現代日本の若者たちの姿を思う時、ヨハネ15章に記されているキリストの御声が響いてきました。
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。(4節)
あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら……。(7節)

父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。
わたしの愛の中にとどまりなさい。(9節)

変わらない神の愛に基づく「 神との関係性(その愛とその御言葉)」を人生の土台として据えること、その関係性の中で健全なかたちで「つながり依存」の根底にある「不安」が取り除かれ、「承認願望」が満たされていくことが何よりも大きな助けとなるのではないかと思います。また、神の愛と恵みを共有する信仰共同体である「教会の交わり」の中にも豊かな可能性があるはずです。現代を生きる若者たちの心に寄り添いつつ、必要とされているサポートを具体的に模索していきたいと思います。

研究会の報告 2014年9月5日

2014年9月5日 中野教会にて

2014年9月5日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
研究会では理事の笹岡靖先生がルカの福音書19章1~10節から「ザアカイに見る関係性の喪失と回復」というテーマで研究発表をされました。

ザアカイに見る関係性の喪失と希望 ~「失われた人を捜して救う」キリスト ~

研究発表 レジメ
1)背の低い取税人のかしらザアカイ
-「取税人」を日本の文化・風土に置き換えると・・・
- 劣等感男のザアカイ

2)木に登ったザアカイ
- 独りで木に登らねばならなかった寂しい男
- 何としても主に会いたいという心の渇き

3)変えられたザアカイ
- イエス様との出会いにより、新しい人へと
- 奪う者から与える者へと - 敵意から愛(赦し)へ

笹岡先生の発表を通して、ザアカイが、研究会の今年度のテーマである「関係性の喪失」を考える上で大変興味深い人物であることを知りました。
聖書においてザアカイは「取税人のかしら」であったと紹介されています。現代日本のコンテキストに置き換えるならば「やくざの組長」とも言える立場です。ザアカイはどのようにして「かしら」と呼ばれる立場に上り詰めていったのでしょうか。ザアカイのドライヴィングフォース(動力源)は彼が子どもの頃から持っていた「劣等感」(不全感)にあったと考えることができます。彼は他の人と比べ格別「背が低かった」ようです。世界の歴史においても、大事を成し遂げた人物のドライヴィングフォースが「劣等感」にあったと考えられる事例を確認することができます。そういった意味において「取税人のかしら」という肩書は、ザアカイの心理状態の結果でもあると言えます。
しかし「かしら」と呼ばれる立場にありながらも、ザアカイは「独り」でした。ザアカイは、エリコの町に来られたイエス様の姿を見ようとしましたが、背が低かったために見ることができませんでした。誰も道を開けてくれなかったのです。ザアカイはイエス様を見るために独りで木に登らなければなりませんでした。関係性を喪失した人物の姿が克明に描かれています。そのようなザアカイでしたが、この時のイエス様との出会いが、彼を変え、彼の人生をも一変させてしまうのです。< 奪う者から与える者へと - 敵意から愛(赦し)へと - >
「イエス様との出会いとは何であったのでしょうか?イエス様との出会いが彼の『心』にどのような影響をもたらしたのでしょうか?」
笹岡先生の発題をもとに、活発な意見交換がなされました。

今回の発表内容は今秋発行予定のジャーナル33号に掲載されますので、期待してお待ちください。

 イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。
 『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まる泊まることにしてあるから』
 ザアカイは、急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。  ルカの福音書 19章5~6節

2014年度 総会・シンポジウムの報告 2014年6月10日

2014年6月10日 久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて

2014年6月10日(火)久遠キリスト教会(阿佐ヶ谷)にて2014年度の総会とシンポジウムが開催されました。
総会では2013年度事業報告・決算報告がなされ、2014年度事業計画・予算案が発表されました。また、上山要代表理事よりヨハネの福音書15章1~5節から『とどまるという選択』というテーマで説教が語られました。

現代社会と関係性の喪失 ~ 教会が直面しているパーソナリティ障害の諸問題について ~

総会後、臨床心理士の藤掛明先生を講師としてお迎えして『現代社会と関係性の喪失 ~ 教会が直面しているパーソナリティ障害の諸問題について ~ 』というテーマでシンポジウムが開催されました。
講師の藤掛先生は特に「境界性パーソナリティ障害」と「自己愛性パーソナリティ障害」の特徴と対応について、わかりやすく説明し、いくつかの事例を紹介して下さいました。
また藤掛先生は、昨年12月に召されるまで聖書と精神医療研究会の働きに携わってこられた平山正実先生との思い出や平山先生の教えて下さった生き方につても印象深くお語り下さいました。
多くの方々の協力も頂き、素晴らしいシンポジムとなりましたことを感謝致します。
シンポジウムの講義内容は、2014年秋発行予定のジャーナルにも掲載されますので、期待してお待ちください。















     シンポジウムの垂れ幕を手に記念撮影      シンポジウムにて挨拶を行う上山要代表理事











  難しい課題をわかりやすくお話しくださった藤掛先生        大盛況のシンポジウム会場

        

研究会の報告 2014年2月7日

2014年2月7日 中野教会にて

2014年2月7日(金)同盟基督教団 中野教会にて聖書と精神医療研究会の理事会および研究会が開催されました。
理事会では2014年度の研究会のテーマ、ジャーナルの方向性、シンポジウムの計画が話し合われました。
研究会では理事の河村冴先生を通して「ロストジェンレーションに伝える希望」について、特にこの世代の結婚という課題を取り上げつつ、学ぶ機会を持ちました。以下に、講義の内容を一部を記載します。(記録・浜田献)

ロストジェンレーションに伝える希望

ロストジェンレーション
2006年「格差社会」という言葉がその年の流行語大賞にノミネートされました。中流社会と考えられていたこの国が深刻な格差社会に変化し始めた頃です。格差社会のしわよせは若年層に厳しく、とりわけ「ロストジェネレーション」と呼ばれる世代に顕著です(※ロストジェネレーション:バブル経済崩壊後の不安定な雇用に悩まされ悪戦苦闘している世代を指して使用される用語。朝日新聞が2007年元旦に当時の25~35歳を対象にこの名称を定義して知れ渡った。現代の30代に相当する)。この世代は、第二次ベビーブームで生まれた団塊ジュニアにあたる世代であり、人口が多く、社会的な競争率が高い世代でありながらも、不況の影響を受けて「就職氷河期」と呼ばれる時代を生き抜くことを余儀なくされました。安定した職を持つことの困難さは、この世代の結婚率の低下にも影響を与えていると考えることができます(「とても所帯を持つことができない」という状況)。結婚率の低下は、出生率の低下にも直結します。団塊の世代は第1次ベビーブームと呼ばれる時期に生まれた世代ですが、その世代の子ども(ジュニア)にあたるロストジェンレーション(世代)の誕生期は第2次ベビーブームと呼ばれています。しかし、第2次ベビーブーム以降、日本は少子化の一途を辿っており、第3次ベビーブームは訪れませんでした。

教会でも ……
このような時代の影響は教会内にも見受けられます。一昔前の青年会には30代半ばくらいの未婚の若者たちが沢山集っていました。しかし現在の教会ではその世代はほとんどいません。また教会内に「この世代の居場所がない」という状況も見受けられます(例:30代半ばの未婚者は大学生が集まる青年会に入りきれない。30代半ばの既婚者は高齢化した婦人会・壮年会に入りきれない)。就職の悩み、結婚の悩み等様々なサポートを必要としていながらも、教会に居場所がないという状況があります。

ルツ記を通して教えられること

① 独り身の不安をこえて
旧約聖書に登場するルツという女性も、困難な状況に立たされた若い女性でした。モアブの地で夫に先立たれてしまったルツは、経済的不況も経験します。ルツの義母にあたるナオミも苦境の中にありました(夫を失い、子どもに先立たれ、孫も与えられないという状況)。ナオミは嫁(ルツ)まで困難な状況に巻き込むことはできないと思い、モアブの家族のもとに帰るように促します。確かにルツにとってはモアブの家族のもとに帰る方が、ナオミと一緒に誰も知り合いのいないベツレヘムに移住するよりは合理的な選択であったと言えます。モアブはルツの故郷です。そこには家族もいる、再出発を始めるには最適な環境でした。しかしルツは、モアブの野に帰るのではなく『あなたの民は私の民、あなたの神は私の神です』と、信仰を告白し、ベツレヘム行きの困難な道を選びます。信仰を第一としたのです。そして、ルツはその選択の故に祝福を受けることになります。

② 婚活へのおせっかいおばさん
ベツレヘムに着いたルツは生計を立てるために落穂拾いを始めます(当時、落穂拾いは極貧の在留異国人のための最後のセーフティネットでした)。この時、ルツが落穂拾いで出向いた畑は図らずも、買戻しの権利をもつ親類ボアズの畑でした。そのことを知ったナオミは、ルツの結婚に向けて大胆な計画を考案します。
既に確認したように、現代は結婚をし、家庭を築いていくのが困難とも言える時代です。経済的な困難で一歩踏み出せないという事情もありますが、そもそも教会の中で30代の男女が少ないという実情もあります。当事者だけの努力では厳しい状況が存在しているのです。そのような中で、ナオミにように、若者の結婚のためにおせっかいをやいてくれる(サポートしてくれる)存在は現代の教会にも必要とされているのではないでしょうか。

③ 信仰者夫婦を通して与えられる次の世代への希望
ルツとボアズは結婚に導かれ、ルツからオベデが生まれ、オベデからエッサイが生まれ、エッサイからダビデが生まれました。そして、救い主イエス様がこのダビデの家系からお生まれになるのです。絶望に瀕していたルツとその家族は、祝された結婚を通して、思いもよらない自らの生活の安定と次の世代への希望を与えられることになりました。

結び
『教会は、家庭と結婚の価値を大切にしようとする人々の確固たる意志を励まし、不安を感じながらも真実の在り方を手探りしている人々に光を与えていくことを通して、結婚と家庭の未来に心配する人々に仕えて行くのが、委ねられた使命の一つであると考えます。そのかけがないのない価値を深い意味において明らかにするのがやはり信仰です。結婚は創造の初めから神に定められた秩序に基づいているのですから、結婚生活と家庭にかかるまことの希望は福音を受けることにおいてかなえられると言えましょう。教会は、結婚と家庭に対する神様の計画を正しく宣べ伝えることによってこの世における働きの一つを果たすことができると考えます。』


問い合わせ先聖書と精神医療研究会

〒262-0032
千葉市花見川区幕張町4-627
TEL 043-273-1737